情熱!
2005-09-29
手にしたいもの、身に付けたいもの、行きたい場所、やりたいこと・・・。誰でも叶えたい夢や目標があるはずだ。仮に「そんなものはない」という人がいたとしても、かつてはあったはず。
「プロの役者」、「本物の俳優」、それを志す動機は何でもいい。“有名になりたい”“お金が欲しい”“芸能界で権力を掴みたい”“モテたい”・・・etc。何でもいい。最初は。
しかし役者に限らず何かを手にしようと挑戦を続けていくと、障害が出てくる。邪魔するやつが現れる。前に進めなくなる。先へ行くほど、それは大きくなる。
そして、さらに先へ進んでいくためには、最初に自分の中にあった動機だけでは足りなくなる。
「まだ先へ行きたいか?」「なぜ?」・・・自問自答が始まる。
自分を見つめなおし、「本当にやりたいことは何か?」「自分の求めているものは何?」と問い掛ける・・・。
すぐに答えが出そうにも思える。しかし、永遠に追いかけなければなさそうにも思える。
ダンさんは言う。 『情熱あるか?』 俺は言う。『はい、あります。』そして心の中で思う。“なめられてんのか?”
『情熱があれば、何があっても負けないで進んでいける。しかし情熱がなくなったら、そこで終わりだ。』 そのとおりだと思った。
情熱があればこそ、人は真剣に物事に取り組む。そして自分と向き合う。
情熱こそ、自分を動かす原動力。支える力。
情熱は全てを可能にする。
いろいろな人に聞いてみたい。・・・「情熱あるか?」って。
T・R 2
2005-09-26
前回と同じ題材をやった。モノローグ。宿題が出されていたが、その宿題とは・・・1・ハイスピードで休まず突っ走る(台詞を切らずに最初から最後までフルパワーで)。
2・話をする(台詞を言う)相手をイメージで置く。
3・テーマ(何についてのモノローグ、芝居なのか?)、ゴール(役の人物は
何が言いたいのか?)、またそのときの気持ちは?〜明確にする。
4・余計なこと(余計な芝居)はしない。ストレートにやる。
この4っつだった。
この一週間、4っつの宿題をクリアしようと台詞を読み直し、何度も何度も台詞を繰り返して言い、考え、やり直してきた。そしてそれをぶつけた。
自分の持っている力を全部出そうとしてやってみた。演じた。すると終わった瞬間にダンさんから質問がきた。
「キャラクターの職業は?」「年齢は?」「今の状況は?」「話している相手は?」。どんどん芝居に必要な、台本から読み取るべきデータを掘り返される。「自分の現状に対してどう思っている?」「それは何故?」「何故今そういう状況になっている?」・・・etc。答えれば次の質問、また次の質問が来る。
ハッキリ言ってまともに答えられたのは、最初の3〜4つくらいで、あとはその場で答えを見つけなければならなかった。困ったし、自分に腹が立った。
質問の過程で、キャラクターの状況、これまでの経緯、自分や話す相手への気持ち、それらの理由が明らかになると、徐々にテンションが上がって来る。
『もしも自分がこのキャラクターの状況にいたとしたら?』と思うと、感情の入り方が違った。
そして質問が終わったと思ったら次に出された指示は、「腕立て伏せ!」。“えっ!?”と思ったが、とりあえずやるしかない。・・・17、18、19、20と続けていくと、「スクワット!」と声がかかる。“えっ?!”。とにかくやった。・・・15、16、17・・・、すると「腕立て伏せ!」・・・また「スクワット!」。もう何も考えられない。ただひたすら筋トレ。しかも全力で。息は上がるし腕も脚もパンパンだ。
本当に何も考えられなくなり、“何でこんなことをやらされるんだ?”と思った瞬間、「台詞!Action!」の声。 “えっ!?”
芝居の準備、感情がどうの、状況がどうだということなんか、全部吹き飛んだ。考えることも思い出すことも出来ないまま、とにかく台詞をぶつけた。
「ここに来もしなかったくせに、10年経って初めて・・・」
細かいことなど何も考えられない。台詞を吐き出すだけ。しかしそれまでの俺とは全く違っていた。
台詞を頭で追いかけることなく、無理に感情を作らずに、“体で”台詞を言えていた。徐々に感情が上がるとともに体も勝手に動く。集中したのは「台詞と共に感情(フラストレーション)を爆発させて吐き出す」ことだけ。
終わった瞬間には何も考えられなかった。体が興奮している。何か、目を覚まされた感覚があるだけだった。
『芝居は“体でやる”もの。“体で表現する”もの。』それを初めて体で味わった。
Living or Existing
2005-09-23
Lessonの中で、ダンさんはいろいろな話をしてくれる。最初に俺が衝撃を受けたのは「Living or Existing」の話。Living :自ら意志をもって“生きている”。
Existing:ただ単にそこに“存在するのみ”。
俳優に限らず、何かを表現する人たち、それが音楽であれ画であれ文章であれ、自分から何か(メッセージや感情など)を発信するならば、日々を“生きて“いなければ無理だ。人生において何の目的もなく、ただ普段の生活を何も考えずに送り、時間を浪費していくだけでは、何かを作り上げる事はできない。人前に立ち、メッセージや感情を伝え、人々を感動させること、それは自分の意志で生きている人のみが出来ることであると。
自分の中に漠然としてあって、ハッキリわかっていなかったものの答えをいきなり提示された気持ちだった(実際は奥が深すぎて、何年も考え悩み、今も追いかけてるけど)。
電車や街中、仕事先など、あらゆるところにあらゆる人がいる。しかし輝いてる人、パワーにあふれている人もいれば、夢も希望もないような顔で全く精気のない人もいる。
しっかりと目標を持ち、それに向かって頑張っている人は、いい顔をしている。何と無く生きている人は、そういう顔をしている。
俳優は「作られた架空の世界において、自分自身の全てを使い切って架空の人物をつくりあげ、表現する=役の人物の人生を本当に生きる」。
スクリーンやTVの画面、舞台の上でのストーリー、1シーンは彼(役の人物)の人生の断片。彼(役の人物)はストーリーの中で“生きている”。その彼(役の人物)を演じる俳優が自分自身の人生を“生きて”いなくて、どうしてメッセージや感情を観客に伝えることができるだろう?どうして感動を創り出すことができるだろう?
ストーリー、シーンの中で、彼(役の人物)の人生を真剣に、本当に“生きる”事によってのみ、俳優は俳優たりえる。芝居は芝居たりえる。観客と感情や想いを共有し、感動を提供することが出来る。
この日から“生きる”ということについて、俺は言葉の意味を考え、自分にとっての定義付けをして、実践した。繰り返し、くりかえし・・・。
そしてダンさんは話の中で、俺に大切な、大好きな言葉を教えてくれた。
『Living in the moment』
T・R 1
2005-09-20
初めてのレッスン、モノローグ(*)をやった。架空の相手に向かい、台詞と感情をぶつける。目の前には先生のダンさんと30人程の生徒達。一人で「状況」と「キャラクター」を演じなければならない。みんなの前に立ち、台詞を言い終わると、ダンさんに言われたことは、
「大きな声で、3倍のスピードで、休まずに突っ走るように台詞を言え。ただそれだけに集中しろ。感情も何も気にするな。」
これだけだった。
「なぜ?」「どうして?」そんなことを考える余裕は全く与えられない。ボランティアとして自分の前に人が座らせられ、彼に台詞をぶつけるよう指示されたと思ったら、声が飛んできた。 「ACTION!」
(台詞)“ここに来もしなかったじゃねぇか!10年経って初めて・・・”
とにかく出せる限りの大きな声で、出来る限りの速さで間を取ることも無く台詞を叫んだ。何回も何回も繰り返す。台詞が飛び、詰まり、言い方も出てくる言葉も変わる。しかしその中でも内容は変わらないように何とか言葉をつなぐ。
そのうち、変化が出てきた。テンションがドンドン上がってくると同時に“緊張”に捕われていた体と気持ちが、徐々に自由になってくる。気持ちをぶつける対象(人)が目の前にいるから、余計なことを考えないで済む。そうすると台詞につられるようにして、感情が出てくる。
何回繰り返したかわからないが、ダンさんに止められて台詞を言い終わった時、俺は汗だくだくだった。熱いし、息は上がるし、体は震えていた。ものすごく疲れて、クタクタになった・・・。
最初に学んだことは、
「“次の台詞は?”なんて考えなくても思い出さなくても、自然に体から出てくるようになるまで覚えること。体に台詞を叩き込むこと。」
だった。
(*)モノローグ:一般にいう長ゼリフ(1人で演じるシーン)のこと。何かを告白したり、訴えていたり、演説していたり・・・という場面をイメージしてもらえると良いかと思います。 対して、2人以上で演じるシーンは「シーン」と呼んでいます。
Prologue
2005-09-17
1999年当時、27歳、北海道小樽市出身、“自称”俳優。“自称”ということは、別に世間一般に俳優として認められているわけではなく、自分でそう思っているだけ。「自分は俳優だ」と言っているだけ。要するに単なる俳優志望ということ。世の中には、「〜志望」の人たちはどのくらいいるのだろうか?俳優、監督、脚本家、プロデューサー、歌手、お笑い、画家、カメラマン、声優、アナウンサー、タレント、ダンサー、・・・。
こんな話を聞いたことのある人はいるだろうか?
「俳優という職業に関して、実際に活動している人から志望者まで含めておよそ5万人いる。実際に何らかの仕事(映画、TV、舞台など)をしたことのある人は5000人。役者としての仕事のみで食べていける人は500人。名前と顔が一致して世間の人がちゃんと記憶しているのは50人。」
この話の数字的なデータの信憑性は俺も知らない。ただ俳優という職業が、それだけ食べていくのが難しいということだと思う。
夢を持って田舎から上京してくる人たち。そして様々な障害に出会い、時に乗り越えたり、押し流されたり。思うように事が運ばずに悩み苦しんで、いつか来ると信じている“チャンス”をひたすら待ち続けている。
人にはいろいろな生き方がある。「家族を第一に生きる」人、「夢を追いつづける」人、「金儲けが全て」の人、「権力に執心する」人。100人いれば100通りの生き方がある。
俺は“本物”の俳優となることを目指している。周りに似たようなやつらもいた。人生にはいろいろなことが起こる。お金のトラブル、恋人との関係や結婚、離婚の問題。親兄弟との問題、年齢のこと、友達との事、生活、仕事、など。
ある人は結婚して家庭を持ち、安定した幸せな生活を築く。
ある人はトラブルを起こした末に失踪したりする。
ある人は自分を見失って、方向を誤っていく。
それぞれの人生、それぞれの生き方。
「俺はいつまで俳優“志望”なんだ?」「このままじゃ何も進まない・・・」「どうすればいい?」「今やらなきゃならないことは?」「何が出来る?」
俺の中にあるのは[根拠のない自身]だけだった・・・。
長い間、俳優としての実力をつけるための場所、先生を探してはいてもみつからずにいたけど、やっと出会えた。金もコネもなく、仕事もオーディションも年に数えるほどしかないこの状態から脱し、何より[本物の俳優]としての実力を手に入れるための“先生”に。
先生は「ダン・コージ氏」。ダンさんの下での俳優修行、トレーニングの始まりだった。そして俺は後にダンさんを“師匠”と呼ばせてもらうことになる。




